愛媛県東温市 重信町山之内 福見寺 後編
福見寺の後編です。
場所はここ。
福見寺は古刹です。
文武二年(698)に伊予国司が国家鎮護のために葛城蔵王権現をお祀りしたのが開創と伝えられています。
その後、山岳信仰の霊場として多くの修行者や信者が護持してきたものと思われます。
本尊は水月観世音菩薩です。
では参拝します。
境内の東からのお参りになります。
まだ誰も足を踏み入れていないまっさらな新雪の境内に・・・
と思いきや、ふもとから続いていた獣の足跡が境内をしっかり横切っていました。
・・・なんだかものすごく残念な気持ちになりましたけど・・・
気を取り直しましょう。
境内のきれいな雪を踏まないよう、端っこを歩いて正面にまわります。
福見寺の寺名石です。
石段の下から見上げた燈籠と鐘楼です。
そして正面から見た本堂です。
境内を見てみましょう。
こちらは手水舎です。
これは鐘楼。
この鐘楼、自由に鐘を撞いてもいいみたいなのですが、なんだか自分は鐘を撞くのが苦手みたいです。
ほんとに音のない静寂な世界なんです。
それを破るのがイヤなのか、大きい音を立てることに気が引けるのか。
お好きな方はぜひ参拝して撞いてみてください。
では、本堂を参拝したいと思います。
額には俵飛山と書いてあります。
この俵飛山という山号の由来はというと・・・
「その昔、法道仙人という方がいました。
年貢米を積んだ船に法道仙人の鉢が飛んできて施しを求めたところ、船頭は拒否しました。
すると、飛んで戻る鉢に従い、多くの米俵が法道仙人のもとへ飛んでいきました。
驚いた船頭が法道仙人に謝ると米俵は戻っていきましたが、一俵だけ南の川上に落ちました。
以来、俵が落ちた周辺は裕福になり、そのため福見という名前になりました」
うーん、これってなんか法力を使った恐喝のような気もしますが・・・
他にもこんな説があります。
「ある年、この地区が豪雪に襲われ、住民が飢えに苦しみました。
法道仙人はそれを救おうと、瀬戸内海を航行する船から米俵を飛ばしました」
まだこちらの話しの方が好感が持てるような気がします。
ここの本堂、山奥に似つかわしくないほど立派です。
これは本堂の彫刻。
彫刻のみならず、格天井もそう。
信者さんがそれだけ大勢いたということなのでしょうね。
その証拠に、この山奥の寺には通夜堂があります。
通夜堂とは信者が参籠して泊まるための建物です。
本堂の形態も少し変わっています。
お寺なのに、まるで神社のように幣殿と本殿のような造りになっています。
お寺の裏から福見山と明神ヶ森への登山道が続いているのですが、そこを登ったすぐのところにお堂があります。
何も表記はありませんが、おそらく開創時にお祀りされた蔵王権現の権現堂ではないかと思われます。
これは五輪塔。
歴史も霊験も魅力も満載の福見寺でした。
無事に参拝を済ませたので帰路に着きます。
ちゃんと車があり安心しました。
以上、福見寺でした。